2005年7月28日(木) 晴れ
5時過ぎに起床。部屋の中を片付けた後、朝食のおにぎりを食べて5時45分にプレハブ小屋を出る。
今日は内子までどうしても歩かなくてはならない。明日からの行程がきつくなる。札所もなく、ひたすら歩き続けることになるだろう。
歩き始めて、数キロ行ったところで、子ども達がたくさん歩いているのを見かけた。
ラジオ体操だ!
私も子どもの頃眠たい目を擦りながら参加したことを思い出した。町内会のおばさんに参加した印に判子を押してもらう。その頃、祖母が町内会の役員を永年務めていた。ラッキーなことに判子が我が家の判子だった。そうなるとがんばる気力がなくなる。数日に1回出かけて、家の判子を行かない日も押す。これでパーフェクト。皆勤賞の賞状をもらった。
そんなことを思い出しながら歩いた。
1時間ほど歩くと大和さんが泊まった宿の前を通過した。昨日別れたのが午後5時だ。それからここまで歩いたんだと感心する。
四国地方は連日の炎天下。雨は一滴も落ちてこない。照り返しの強い過酷な1日になることが予想された。
予想に反せず、陽が高くなるに連れて気温も上がり、日陰のない国道は過酷な道に変身していく。
国道56号線をひたすら歩く。大洲市までは20キロ。途中には鳥坂トンネルがある。
鳥坂峠越えの遍路道もあるが、距離は長くなる。どうしても今日は内子まで行かなくてはいけない。それに松尾トンネルもクリアしているので、トンネル内の20分を我慢すればという思いで、国道を進むことにした。
国道の上り坂を登り切ったところに、鳥坂トンネルが現れた。松尾トンネルと大きく違うところはこのトンネルには歩道がないのだ。白線で仕切られているだけだ。これは怖かった。大型車が横を通過すると吹き飛ばされそうになる。なかなか出口が見えず、遠くに星のように小さな光(出口)が見えたときには自分で意識はしていないのだが早足になっていくのがわかった。
トンネルの利点は陽が当たらないことだ。トンネルを出るとまた炎天下の国道の歩行が始まる。
国道は下り坂になる。
『自販機が 大師に見える 夏遍路』
自販機を見つけると、それはそれはありがたく思える。
下り坂の終盤、自販機を見つけてお茶のペットボトルを購入する。
するとそのすぐ近くに喫茶店があるではないか・・・。
昨日は昼ご飯を食いそびれて体力のすべてを使い切ってしまったことを思い出した。時間はまだ午前10時。だいぶ早いが、そこに入ることに決めた。
「まずはアイスコーヒー。その後にサンドイッチを持ってきて下さい。そして最後にホットコーヒーを出して」
と注文した。
食欲は確実に落ちていることがわかる。昼はサンドイッチ程度しか腹に入らない。でも、食べないと昨日の二の舞だ。
50分ほど休憩して、また国道を歩き始める。
少し道に迷ったが、大洲の入り口に着いた。
公衆トイレがあったのでそこのベンチで休憩。
『ここから大洲市内』という標識があり、おはなはん通りへあと何キロと表示されていた。
『おはなはん』
懐かしかった。朝の連続テレビ小説。子どもの頃、樫山文枝が扮するおはなはんが理想の女性像の一人だった。テーマソングに歌詞を付けたレコードを友達が持っていてそれが羨ましくてたまらなかった。この道はぜひとも通ってみたいと思った。
ここで道を間違える。四国には『四国の道』の標識がある。この道も八十八ヶ所を網羅している道なのではあるが、遍路道とは微妙に違う。私はこの『四国の道』の標識の方向に歩いて行ってしまったのだ。これは、おはなはん通りを通らずに、川を渡って川向こうを通る道だった。気がついたときにはもう遅い。いくらおはなはんが好きでも何キロも戻る元気はない。結局、数キロの大回りをして大洲城が見えるところに着いた。
十夜ヶ橋までの4キロは国道56号線の町中を通る一本道。
日陰は期待できない。
『炎天下 ああ炎天下 炎天下』
途中のスーパーのひさしの下で休み、コンビニの軒下で休む。疲れてくると、足の痛みが増し、何だか歩く度にグチャグチャとマメが潰れたり広がったりするような気がした。
ようやく十夜ヶ橋まで辿り着く。
十夜ヶ橋は弘法大師が修行中、泊まる場所がなくて橋の下に寝たという場所。その夜は橋の上を杖をついて歩く音が響き、その音でなかなか眠れず。一夜が十夜に感じたという。遍路は橋の上では杖を突かないという決まり事にもなった場所だ。
私はここで疲労の極限だった。
橋の上にある永徳寺の境内のベンチで靴と靴下を脱ぎ、全身を投げ出すようにして休んでいた。橋の下に降りていく気力がなかった。
地元のおじさんが来て、雑談した。
「今日はどこまで行くの?」
「内子まで行く予定です」
「歩いて?」
「はい。どれくらいかかりますか?」
「ここいらの人間は内子までは歩かないからわからないよ」
そりゃそうだ。私は神奈川県の三浦市に住んでいるが、隣の横須賀市の○○町に行きたいのだけれど歩いてどれくらいかかりますか?と聞かれたら、歩いたことがないからわからないと言う以外ない。電車ならばどこそこの駅まで何分、そこからバスで何分と答えることもできる。遍路は非日常の人間なんだと実感する。
十夜ヶ橋では下に降りることなく、橋の上から手を合わせて出発した。
ここからは8キロ。一気に歩けるとは思えない。このバテ気味の状態では1〜2キロに1回は休憩が必要だろうと思った。
時刻は午後2時を過ぎていた。
『札所より 自販機気になる 夏遍路』
案の定、1〜2キロ歩くと荷物を降ろして休憩。自販機を見つけると飲み物を買うという歩行になった。
内子まであと3キロというところで、ラーメン屋の軒先で休んでいた。
すると後ろから大和さんが歩いてきた。
大和さんは、大洲城などの観光地を見学し、昼食をゆっくり取り、その上喫茶店で小一時間休んだと言う。歩行速度の違いに驚かされる。度々書くが、七二歳。
今晩の宿を尋ねると、な、何と、同じ宿だった。
「それでは宿で会いましょう」
と私は先に出発した。
内子に入る最後の遍路道。畑の中を歩いていく。国道と違い直接陽が当たらずまだ歩きやすい。
『古池に 飛び込みたくなる 夏遍路』
池や川を見ると頭から水をかぶりたくなる。
遍路道の途中で休んでいると、もう大和さんが追いついた。
大和さんはそこで休まず、
「お先に」
と進んで行った。
その後を追うように出発する。
内子の町で道に迷い、地元の人に旅館の場所を聞いて到着したのは午後五時半。私に遅れること数分後に大和さんも宿に着いた。大和さんは内子に着くやいなや自転車を借りて町の中を見学してきたそうだ。
洗濯、風呂と済ませると、宿の玄関の方から聞き覚えのある声が聞こえた。
「お〜!同じ宿だったのか!」
それは昨日仏木寺で別れた長浜さんだった。
夕食は1階の食堂で、大和さん、長浜さんの3人でいただいた。
食卓は豪華だった。今日は丑の日ということで鰻の蒲焼きまで並んでいた。
まずは生ビールで乾杯。
話を聞くと、大和さんは私が十夜ヶ橋を出た後30分後に十夜ヶ橋に着いたとのこと。長浜さんはそれに遅れること30分後に着いたそうだ。
長浜さんはそこから、東京と大阪のお姉ちゃん遍路ともう1人のお遍路さん4人で内子まで来た。大阪のお姉ちゃんともう1人のお遍路さんは違う宿に泊まり、東京のお姉ちゃんはこの宿に泊まっているが、素泊まりなのでもう部屋に入って寝ていると言う。
長浜さんは、関西弁を話す豪快な方で、人を惹き付ける魅力に溢れている。
三人で明日の予定を話し合った。
長浜さんはすでに
44番下の宿を予約してあるということだった。
「そこまでは40キロ位ありますよね」
私もそこに泊まることを検討していたのだが、40キロは歩けないだろうと思った。それに最後の5キロは峠越えが待っている。そこで10キロ手前の宿に泊まろうと決めていた。
「大丈夫だ!一緒に行こうよ。歩けるから・・・」
と長浜さんが言った。
みなさんと一緒ならば、何とか歩けるのか・・・。みなさんに迷惑がかからないか・・・。
「朝、6時に出れば大丈夫だ!」
と言い切る長浜さんの言葉に、一緒に歩こうと決めた。
この場で、宿に電話をかける。
「それならば、私の分も予約しておいて」
と大和さん。
大和さんと長浜さんの脚力は知っている。私とは全然スピードが違う。不安だった。でも、このお二方と歩けるという魅力は大きかった。
明日は
44番下の宿、明後日はその宿に荷物を置かせてもらい、
44番と
45番を打つ。そして同じ宿に泊まる。そんな計画ができた。
先日の小屋ではあまり眠れなかった。今日は炎天下の中体力の極限に近く歩いた。
明日は40キロ歩く。こんな条件が揃えばよく眠れるだろうと思い床に入った。

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