2005年7月29日(金) 曇りときどき雨
6時に朝食。昨晩は、疲れているのにもかかわらず2時間しか眠ることができなかった。
大和さんと長浜さんと朝食をとる。宿の女将さんにおにぎりを作ってもらいそれをリュックに入れて6時半に出発した。
今日もひたすら歩く日になりそうだ。でも、先日までの炎天下とは異なり曇り空。少しは歩きやすいのではないかと思う。
大和さんと長浜さん。この2人は学生時代、駅伝の選手だったという。若いときに培ったものは決して無駄にはならないのだと思う。それに比べて、私は麻雀とパチンコ、映画鑑賞に明け暮れていた学生時代。今更後悔しても遅すぎる!
今日は何としても2人に遅れないように迷惑をかけないように歩くのが私の課題だと思った。
内子の町を過ぎて、国道との分岐点のところで1人のお遍路さんに会った。
長浜さんが、
「や〜!」
と声をかけた。
このお遍路さんは一昨日
43番明石寺でお見かけしたことを思い出した。
長浜さんとは、昨日一緒に歩いたそうだ。
大和さんとも知り合いの様子だった。
彼は私よりも4歳年上の方で、岐阜県から来られているとのこと。これからは岐阜さんという仮名で書くことにする。
大和さんがいちばん年長。そして長浜さん、次が岐阜さん。私は最年少ということになる。昨年の遍路で息子と旅したときに、おじいちゃんと孫の旅と間違えられた。と言うことは、この4人の年齢差を見た目ではだれも正確には答えられないだろう。多分、私は2番目くらいの年長者に見られるのではないかな?もしかすると最年長に見られたりして・・・。こんなどうでもいいことを考えながら、私は3人から遅れないように歩いた。
見ようによってはこの4人は、水戸黄門ご一行の旅に見える。大和さんがご隠居。長浜さんと岐阜さんが助さん、格さん。すると私はさしずめうっかり八兵衛だろう。
歩き始めから5キロほど行ったところで休憩した。
そこに1人の若い女性のお遍路さんが追いついてきた。
長浜さんが、
「お〜!」
と手を挙げて呼び寄せる。
彼女は昨日、長浜さん達と一緒に歩いたという東京から来たお姉ちゃんだった。
大和さんも、岐阜さんも顔見知りのようだ。
水戸ご老公一行はこれで5人になる。東京のお姉ちゃんは由美かおる役のかげろうお銀だろうか。
長浜さんが蜜柑を買いたいとのこと。通り向こうにある果物を売っている露天の小屋に出かけていった。しばらくすると、5個の梨を抱えて戻ってきた。
「蜜柑は売っていなかったけれど、梨をお接待で貰ってきた」
梨をみんなで食べた。美味しかった!
一行は出発する。5人のお遍路さんが一緒に歩くということは私の今までの体験では初めてだ。それも遍路という共通点だけで出身地は違い、年齢も違う。これも何か大きなご縁で結ばれているのだろうと思った。
数キロ進むと、桃の選別をしている農家の倉庫があった。中ではおばさんが2人で仕事をしていた。
長浜さんはどうしても蜜柑が食べたいようだ。おばさんに蜜柑のことについて色々と聞いていた。すると、今度は桃が5つお接待されたのだ。それも美味しくいただいた。
私以外の4人は健脚だ。後を付いていくだけでいっぱいいっぱいになる。多分、1人で歩いていたら何度も何度も休憩を取っただろう。
それでも私に気をつかってくれてか、4〜5キロに1回の休憩を入れてくれた。
11時頃、分かれ道に着いた。私たち4人は左の道に行き峠越えをする。お銀さんは右手に行き、峠を越えずに5〜6キロ長い道を行くと言う。
そこでひと休みしていると、地元のおばさんが自転車で追いかけてきて、大きな西瓜をお接待だと言ってくれた。包丁も持ってきてくれた。
わずか数時間の間に、梨、桃、西瓜と味わうことができた。
お銀さんと別れて、再び歩き出した。
最後の峠に着くまではまだまだだ。あと20キロ以上ある。気の遠くなる距離だ。
すると、ポツポツと雨が落ちてきた。四国について初めての雨。それが熱くなった体にちょうどいいお湿りになる。
長浜さんはポンチョを着た。
10メートル歩いただろうか、
「暑い!」
と大きな声をあげて、すぐに脱いでしまった。
「暑くて着ていられない!」
長浜さんを見ると、汗をびっしょりかいていた。
みんなで大笑いした。
道端に座り、昼食にすることにした。
昼はどうしても食が進まない。これは毎年同じ。でも、食べないと疲れがどっと来る。私は、岐阜さんにおにぎりを半分食べていただいた。
この辺りからだろうか、私はみなさんから少しずつ遅れるようになってしまった。
後ろ姿を見ながら歩くというのが精一杯。
何度かの休憩をはさみ、峠まであと数キロというところではとうとうみなさんの姿が見えなくなってしまった。私がこの一行の中では一番若いのに・・・。
しばらく1人で歩いていると、湧き水の出る場所でみなさんは待っていてくれた。ありがたかった。ほっとした。
私も遅ればせながら靴を脱いで、座り込んだ。
足のマメの話になった。すると、長浜さんがよい靴ひもの結び方を教えてくれた。靴ひもは足の甲の部分だけにして、足の先はゆるめておく。足の指が自由に動くくらいがいいとのことだった。前日に、その方法を聞いた岐阜さんが試したところ、足の痛みがすっかりなくなったそうだ。私もそこで靴ひもを結び直した。
ここで休んでいると、また1人の女性のお遍路さんが歩いてきた。彼女は大阪から来たお姉ちゃんのお遍路さんだった。さっき別れたお銀さんとこの大阪のお姉ちゃんは、昨日は長浜さんと一緒だったという。
ここからまた5人旅となる。東京のお姉ちゃんがお銀さんならば、大阪のお姉ちゃんは風車の弥七の相棒の霞のお新だろうか。
ここから先は峠越えになる。峠は2つ越えなくてはならない。
案の定、私は遅れに遅れた。1つ目の峠を越えた。下り道は、何とかみなさんと一緒に歩ける。
最後の峠にかかるときは、もう夕方になっていた。
私たちは最後の峠を自動車の走る道を行くことにした。お新さんは遍路道を行くと言う。若いお姉ちゃんが1人で遍路道を行く勇気に感心した。
そこでお新さんと別れた。
最後の峠道の入り口で蝮を発見。長浜さんが杖でつんつんと蝮を突いた。すると蝮が鎌首を上げた。お〜!私は急いでカメラを出したのだが、構えたときにはすでに蝮が逃げた後だった。
遍路道と峠道の別れ道で、岐阜さんが遍路道を行くと言ので、合流したところで落ち合う約束をして別れた。
大和さん、長浜さん、私の3人は峠道を登って行った。この道、どこまで歩いても頂上に着かない。私は例のごとく遅れだした。でも、夕闇が迫ってきたので、ここで遅れては1人で歩かなくてはならない。それは怖い。2人の後を必死に歩いた。
時間が6時を過ぎた。私の携帯に電話がかかってきた。宿の女将さんからだ。
「今、どこを歩いていますか?」
「まだ、峠の途中なんです」
「・・・・・・・」
山の中で電波の感度も悪く、すぐに切れてしまった。
長浜さんの携帯は何とかつながったので、もうしばらくかかると言うことを伝えてもらった。
ようやく頂上に着き、更に歩いて遍路道の合流点にも着いた。
ところが岐阜さんの姿がなかった。
時間が遅くなるので、1人残って後は宿に向かおうということになった。
私は疲労困憊だったので、残る1人に立候補した。
6時半までここで待って、岐阜さんと会えなければ宿に向かうことにした。
2人が去って、1人になってみると、それはそれは淋しかった。し〜んとした山の中。煙草を吸いながら待つ。
すると携帯が鳴った。岐阜さんからだ。もう宿に着いているとのこと。宿の女将さんから私の携帯の番号を聞いてかけてくれたのだ。
「よかった〜」
と私は歩き始めた。
するとすぐにまた携帯が鳴った。今度は長浜さんからだ。
大和さんに先に行ってもらい、長浜さんは峠の下にある火葬場のところで待っているとのこと。
1人で歩く峠道。辺りはだんだん暗くなってきた。道端に立っている石の仏像が動き出すかに思え、背中がじ〜んと痺れた。
ようやく峠を下り終わり、長浜さんが待っているという火葬場に着いた。
薄暗いところで見る火葬場。その横には墓場があった。これは怖かった!
どこを探しても、長浜さんがいない。
もしかすると、先に宿に向かったのかもしれないと思い、歩き出した。
道の向こうの方に、白い固まりが見える。私はそれが白い紫陽花だと思った。ここは久万高原という高地なのでまだ紫陽花が咲いているのだなと思った瞬間、その白い固まりが動き始めたのだ。
「お〜!!」
私は立ちすくんでしまった。
これには息が止まるほどびっくりした。
白い固まりは、長浜さんだったのだ。
長浜さんは、火葬場で私を待っていたところ、だんだん暗くなって、近くには墓場もあるし、怖くなって下の道で待っていたのだそうだ。
宿に着いたのは午後7時20分。
宿の前では、岐阜さんが心配して待ってくれていた。
すぐに風呂に入り、その間に洗濯をして、夕食となった。
大和さん、長浜さん、岐阜さん、私と今日の宿泊は4人。
ビールで乾杯して食事をする。
明日もこの4人で旅することが決まった。明日は
44番と
45番を打ち、もう1度この宿に泊まる予定だ。
今日1日のことや、遍路中での出来事など話が盛り上がって時間が過ぎた。
明日の出発時間を確認して、それぞれの部屋に戻った。

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